昭和52年03月15日 若先生の朝の御理解
御理解 第81節
「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」
昨日、朝のお届けを済まれて、久留米の井上かつみさんからお届けがあったんですけれども、東京のほうに息子さんがおられる方ですが、たもんさんという人ですけれども、まぁそれほどしに信心が熱心でないわけですが、最近まあて読まれたわけですけれども、この天地書附をお読みになる時に、これを皆さんも見て頂くと分かりますけれども、「生神金光大神 天地金乃神一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい」というところがあるんですけれども。
この「一心に願」というのを、これ「一」に「心」ですね、一心と「一」に「心」。その二というのがその、カタカナのニがこう書いてあるですね。でその数字の2と、あの間違っ、間違っててこれはもう神様が間違えらしゃったじゃろうと思うぐらいにその、思うんですが、だからやっぱもう、たもんさんが読んだのがですね「一に心、二に願い」とこれを読んだそうです。
けどほんとに素晴らしいこれは御理解になりますね、そうすると。「一に心、二に願い」と。なら願う。一番まずんなら、心を直して、そして願えということになりますでしょ。そうすると、もうほんとに、そうそれのほうが本当かも分からんよちいって、言わして頂いたことですけども。「一に心、二に願い」という、ことなんすけれども。まぁ今日の御理解から頂きますと、これはもう随分前に頂いておったことですけども、丁度あの心というのはまりがこう坂を転げ落ちるようなものだ。
あの停止しておくことのもんじゃないと言う様な意味合いのことを、僕は随分前頂いてたことがあるんですけれども。ですから人間の心っていうのは、もうあの精進しよらなきゃ、もういつも悪いほうに悪いほうに物事を取りよるですね。だから心ってのは、もう常に生神を目指してというか、精進しとかなければ、上には上れないような仕組みになっておるようです、人間の心は。それほどしに業が深いもののようです。
ところがなら一旦峠を越しますと、これは親先生のことを思うて頂くから、よく分かりますけれども、なら悪いほうにを取れって言ったって取れないんですね。今度はいいほうに、いいほうに峠を越すと、向こうへ向こうに降りたら安心じゃというのは、向こうへ降りたら、もう、あれを聞いても、これを見ても、いいほうにいいほうにしか取れない、ということになるわけでしょうけども。
私達の心の正体を見る時に、実に浅ましいものがあり、ほんとにあの、自分で辟易するようなものがありますけれども、そのやっぱり頂上を登り切るまでは一つ、精進に精進を重ねる工夫というのがなされなきゃいけない、と思わして頂きます。昨日に続いて、今日も親先生がご気分がすぐれてないようですけれども、まあそのいろんな方から、昨日もお届け、並びにお祈り添えのお届けを聞かして頂いたわけですが。
まあいうならば、合楽教会の一使命の時という感じがいたします。まあ、それぞれに、信心を引き締めさせて頂いて、親先生の、まあいうならば、どうでしょうか。もう言いたいことは十二分に親先生言って頂いた。後はもう、親先生のあの教えを踏み行うしかない、ということのようです。それこそ親先生のみ教えを、もう血肉にさして頂きたい、と思わして頂きます。
どうも有り難うございました。